患者と医師との心の垣根を取り払う。
「楽しい」が連鎖する歌の効果

2023.10.17
スポーツドクターとして活躍しながら、42歳から本格的に声楽を学び始めた北山吉明さん。一般的に、50歳代が寿命と言われるテノール歌手を、76歳になっても現役で続けられています。そんな北山さんは、患者さんと真の意味で信頼し合うため、2002年から20年にわたり診療室の待合室でのコンサート「マチコン」を開催。マチコンで感じた歌のチカラ、声楽に出会ってからの人生の変化について語っていただきした。
        • 声楽はスポーツ。
          トレーニングでより良く歌え、健康寿命を伸ばす!

        • —42歳から、声楽を始められたきっかけについて教えてください。

          小さい頃から音楽、特に歌が大好きだったんです。子どもの頃に同居していた、声楽科出身の叔母の影響もあると思います。また、医師は人対人の仕事ながら、交友関係と言えば医療関係者ばかり。「全く別の世界を見たい」と趣味を持つ医師は多く、私は大好きだった歌をもう一度始めようと考えました。高齢になっても、歌を歌っていれば楽しい人生になるんじゃないかという期待もありましたね。一から始めるには年齢的に遅めだったので、弟子にしてくれる声楽教師になかなか出会えず苦労しましたが、あるオペラ歌手の先生との出会いで、オペラに親しむことになりました。

        • —レッスンを経て、「声楽はスポーツだ」と気づかれたとのことですが、どんな特徴がスポーツだと感じたのでしょうか。

          オペラのレッスンが始まるとすぐに、ひどい首こり、肩こり、腰痛になりました。高音の発声もとにかくつらく、声楽とは身体活動だ。スポーツと同じだ。と感じました。そんな時、ふと何かで読んだ「歌は身体が楽器である」という一文を思い出したんです。身体のすべての機能を使わなければ、良い声は出ない。そこで私はスポーツドクターでもあったことからスポーツ医学の本を開き、歌う時の身体の使われ方を探りはじめました。「歌う」ための効率的な身体の鍛え方も、声楽レッスンを通して声楽の先生と共に検討してきました。

        • —70代でもテノール歌手を続けるために、心がけていることはありますか?

          まずは、意識の改革です。スポーツの世界では年齢を区切って競うマスターズ競技会があります。スポーツドクターとしてマスターズ出場者にお会いする中で、「50歳代がオペラ歌手の寿命」と言うのも人間の思い込みではないかと感じたのです。私も55歳の頃に不調となりましたが、マスターズ競技者の存在や声楽の先生の励ましもあり、根気強く練習に励みました。すると、ゆっくりと声は回復し、以前より良い状態になりました。この体験をきっかけに、身体は急激に衰えるものではないこと、一時的に脳と身体のバランスがくずれ、機能低下が起きても、いずれ回復すると確信しました。また、何かあっても「悪い方に考えない」「年齢のせいにしない」「身体は努力を裏切らない」といった言葉を心の中で繰り返し、練習に励むことも心がけています。

        • —日々行っている、声のトレーニングがありましたら教えてください。

          「歌は身体が楽器である」という言葉どおり、身体をベストな状態に保持することが、歌うことの基盤です。「食う」、「寝る」、「遊ぶ(身体をよく動かす)」を意識して生活し、その上で2日に1回、1時間半ほど歌いっぱなしというハードな練習を行っています。万人に適しているかの検証はできていませんが、休まずに歌うことで歌うための筋肉が作られ、歌うための基盤ができていきます。スポーツのトレーニング方法そのものですね。

        • —北山先生にとって、「歌う」ことはどのような存在ですか?

          当初は「気晴らし」「楽しみ」といった軽い存在でしたが、ヒトは、太古から音楽を持っていました。そのことからも、「歌う」ことは、2オクターブにわたる音域、言語能力、複雑なリズムの使い分けといったヒトの能力をフル活用できる、生きるための基本的営みなのではと感じるようになりました。

          「歌う」ことは、脳の活性化や心肺機能の維持、副交感神経の活性化、口腔機能や嚥下機能の改善による誤嚥防止、そしてストレス解消など、健康寿命を伸ばすために大きな役割を果たします。歌は私の生命に直結している。そんな実感を強く持っています。

        • 患者さんとの信頼関係を築き、
          地域との絆づくりにも役立つ歌のチカラ

        • —北山さんが、ご自身のクリニックで行われていた待合室コンサート「マチコン」。実施によって、患者さんとの関係など変化したことはありましたか?

          マチコンは2002年、ある患者さんの後押しで始まりました。次のコンサートを期待してくださる患者さんに「会場の予約が大変で……待合室でならいつでもできるけど」と話したところ、賛成してくれたことがきっかけです。マチコンに来てくれた患者さんたちは、診察室での緊張した表情とは違い、楽しげな明るい表情で私の歌を聴き、一緒に歌ってくださいました。「患者と医者」という立場の垣根を取り払い、信頼関係を築くことは医療において大切なこと。誰もが口ずさめる歌をちりばめたコンサートには、その力があると実感しました。患者さんに比べて医師の自己開示は少ないですが、マチコンは私の医師としての技量面以外の、人間的な一面を伝える機会となった気がします。

          また、マチコンを重ねるごとに、患者さんとスタッフが打ち解けてきたことは、うれしい“歌のチカラ”でした。患者さんがお菓子や果物などを持って集まってくれたり、マチコンを機に「地域おこしの行事で歌ってほしい」といったお話もいただけるようになりました。大きなビルに入るクリニックでしたが、地域の一員として受け入れていただけた気がして、うれしかったです。歌のチカラが、人と人との絆を創ってくれたのですね。

        • —“歌のチカラ”について、さらにエピソードがございましたら教えてください。

          オペラは役になり切って演じなければなりません。幸福、悲しみ、憎しみ、裏切り、死……人生で何度もないハードな状況を演じるには、これまでの経験を総動員し、最も近しい表現を選び取る必要があります。この作業を通して、徐々にですが人の心情を推し量る力がつき、患者さんとの関係づくりに役立ったと感じます。

          自らの歌にまつわる思い出や体験、そして脳科学からみた音楽・歌の人体に対する機能などを考えてみると、歌のチカラの多様さと大きさは驚くばかりです。日常的に好きな歌を口ずさむこと、皆で意気揚々とカラオケで歌うこと、冠婚葬祭の場で緊張しながら歌うこと、孫と一緒に歌うこと……すべてが、心身にとても良い影響をあたえてくれます。

        • 人との出会いで歌い手の人生を深め、
          思わぬ感動を呼び起こす声楽の魅力

        • —熱心にオペラに取り組まれたことで、よかったと思うことはありますか。

          オペラを通して、医療関係以外の多様な方々と出会い、活動を共にする機会を得ました。また、人としての在り方について大切なことを学び、刺激も受けました。人と出会い、学ぶことを繰り返すと、興味が湧く出来事が次から次へと出現し、脳と身体が大活躍する。人生が深まっていく感覚があります。

        • —第一興商が掲げる「Singing 歌いながらいこう」をご覧になっての率直な感想をお聞かせください。

          「歌の楽しさ」に立脚するカラオケ文化の仕掛け人が、歌を医科学的に分析し、心と体に及ぼすチカラを探求され始めたことに敬意を払います。人は、遊びであっても、自分の行動に意義を見つけたいものです。歌うことは、人類が進化の過程で獲得した生きる上での基本的機能です。誰もが実践可能なこの機能に意義を与えることは、重要な社会貢献活動です。さらに広く、深く、“歌のチカラ”について探究していただきたいと期待します。

監修者Profile

北山吉明

1947年生まれ。金沢医科大学形成外科助教授を経て、1990年北山クリニックを開業。多数のソロ・ リサイタルを開催する傍ら、各種コンサート、オペラ公演などに出演する。金沢市声楽コンクール金賞受賞。2023年11月1日に金沢市アートホールにて、北山吉明テノールリサイタルを開催予定。