すべての人々は「きょうだい」になる
年末に第九を歌いたくなる理由は、他者とわかちあう「歓び」にある?

2023.12.19
年末になると全国各地で開催されるベートーヴェンの交響曲第9番の合唱会。壮大な合唱を成功させるために、どんな人たちが、どんな思いで参加しているのだろう?練習はどのようにしているの?などと、ふと興味がわいたSinging編集部。実際に「第九」に参加した経験がある音楽ライター・桒田萌さんに、練習から本番までの様子や歌がもたらした感動について寄稿していただきました。来年はチャレンジしてみたくなること必至です!
        • 年末に何度も響く「フロイデ!」の言葉

        • 「Freude!」――年末、最も響く言葉の一つではないでしょうか。「フロイデ」と読むこの言葉は、日本語で「喜び」を意味し、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」(以降、第九)の歌詞の一部でもあります。2022年における「第九」の上演回数は、プロやアマを問わず100回を超え、年末には数えきれないほどの「Freude!」が世に発せられていることでしょう。

        • そもそも、どうして人々は、年末に第九を歌いたくなるのでしょうか。そして一体、何が人々を惹きつけているのでしょうか。そんな不思議な第九の魅力に迫るべく、かつて年末に第九を歌った当事者である筆者が、その答えを紐解いてみたいと思います。

        • 第九で「きょうだい」になる

        • 私が初めて第九に出会ったのは、中学生の頃のこと。当時、音楽の道を志してピアノに励んでいたものの、ひたすら一人で一心に練習する日々に疲れ、「誰かと一緒に音楽をつくること」に飢えていたのでした。

        • そんなときに目に留まったのが、ある合唱団のメンバー募集。ソプラノパートで応募したところ抽選に通り、12月に向けて9月からレッスン開始することに。合唱経験のなかった私は初心者クラスに配属され、本番まで週1回のレッスンに毎週通うようになりました。

        • 練習期間はクラスに分けられてレッスンに励み、共演者全員と顔を合わせるのは本番前日のリハーサルと当日のみ。私の所属するクラスには、私のような当時10代の中高生や大学生もいれば、働き盛りであろう30〜50代の男女、親子、高齢者まで、さまざまな人がいました。合唱経験がある人もいたようでしたが、まったくの未経験だと思わしき人も多数。自分のクラスへの所属意識も芽生えると同時に、「他にどんな人たちが参加しているのだろう」「大勢で歌うって、どんな感覚なんだろう」……と、募る興味とともに練習は進みました。

        • 3ヶ月間の練習期間中、何度も感じたことがありました。それは、「初心者クラスだからって、手加減しないんだな」。世には第九を歌う合唱団はたくさんあれども、ベテランの歌い手で構成してハイレベルな演奏を目指す団もあれば、まずは声を出して形にすることを目標とする団まで、本当にさまざまです。だからこそ私も「初心者クラスだし、まずは声を出して合わせることがゴールになるのかしら」なんて想像していたのが正直なところ。

        • その期待は良くも悪くも裏切られ、まずは腹式呼吸による発声を身につけることから始まり、第九の詩の言語であるドイツ語の発音もしっかりと練習。私を含め、英語の発音とごちゃまぜになり、かなり苦戦している人も周りにちらほらいました。

        • レッスンではパートを分けて練習したり、2つのパートや3つのパートでアンサンブル的に歌ったりしながら、じっくり時間をかけて練習。ほかにも詩の内容や細かいリズムやハーモニーなど、たくさんのインプットがあり、レッスンが終わるといつもヘトヘト。レッスン開始前に「所詮、初心者だし……」「声を合わせるだけの合唱になるのでは」なんて言っていた私も、レッスンを重ねるごとにある気づきを得ました。

        • 合唱とは、年齢や属性、声質の違う「個」が集まり、一つになりながら作品を作り上げていく行為なのだと。誰かが一人だけ個性を主張していたり、好き勝手したりしていたら、それは難しい。レッスンで学んださまざまなルールや基礎は、それぞれ違う「個」が一つに溶け合うために必要なことなのだと学びました。

        • 第九の詩『歓喜に寄せて』において、シラーはつまるところ「すべての人々は兄弟になる」「抱き合え、諸人よ」と伝えました。ともに歌うことで、私たちは「きょうだい」になれるはず。他人が他人であることを放置していては、本当の意味で「第九」を歌うことはできないのです。

        • 本番ならではの合唱と第九の「歓び」

        • そしていよいよ迎えた、本番当日。交響曲第9番は、全4楽章で構成され、第1楽章から第3楽章まではオーケストラのみで演奏されます。そして第4楽章の途中でバリトンのソリストが「O Freunde, nicht diese Töne! (=おお友よ、こんな調べではない!)」とこれまでの音楽の流れを否定するかのように歌い出し、それに呼応するように合唱も「Freude」と満を持して登場し、「Wo dein sanfter Flügel weilt(=すべての人々は兄弟となる)」に続くのです。

        • ――あぁ、なんて気持ちが良いのだろう。歌い始めた直後、私はしみじみと嬉しさを噛み締めました。50分間ほど歌うことを待ち続けた合唱団員が一斉に声を出す様子は、まるで会場内に眠っていた小さな粒子が覚醒するかのよう。そこから大きな波動が生まれるのを、確かに感じました。

        • 歌っている最中、私は2つの「歓び」を覚えました。1つ目は、「声を出す歓び」。カラオケで思い切り歌ったり、スポーツを観戦しながら大声で応援したりしない限り、声を遠くに響かせる機会はあまりありません。これまでの練習でもたくさん声を出しましたが、本番ならではの興奮も相まって「自分って生きているんだ!」と強く思えたのでした。

        • 2つ目が、「声を重ねる歓び」。舞台にいる緊張感と高揚感が入り混じり、それぞれの声に熱がこもり、そのうち歌い手同士の間に空気のうねりが生まれ……。まさに音楽はその場・その時限りの「なまもの」に等しいわけです。それを他者と生み出すスリルこそが、合唱の楽しみであるともいえます。

        • 私たちは必死に歌いました。「抱き合え、諸人よ」「この口づけを世界中に」「歓喜よ、神々の麗しき霊感よ、天上楽園の乙女よ」と。シラーの言葉を一緒に歌いながら、ともに歌う私たちはいま「きょうだい」になったのだと、確かに思うのでした。

        • 年末に第九を歌いたくなる理由

        • 「誰かと一緒に音楽をつくりたい」という願望をもっていた当時中学生の私は、今では音楽の現場を訪ねて取材するライターになりました。そして第九を歌う合唱団を取材する機会もあり、その度に懸命に歌う人々を見ては羨ましくなります。彼・彼女たちは、これから第九を歌いながら「他者ときょうだいになる歓び」を味わうのだろう、と。

        • 年末は、その1年の出来事や出会った人々のことを振り返りたくなる時期です。良いこともあれば、そうでないこともあったでしょう。それでも、自分に関わったすべての人をきょうだいであると尊び、日々を駆け抜けた自分自身を「Freude!」と祝福したい。そんな普遍的な願いを丸ごと抱きしめてくれ、歌ったり聴いたりすることで次の1年にポジティブな橋を架けてくれるのが、第九なのではないでしょうか。

執筆者Profile

音楽ライター桒田 萌

1997年大阪生まれの編集者/音楽ライター。夕陽丘高校音楽科ピアノ専攻、京都市立芸術大学音楽学専攻を卒業。在学中にクラシック音楽ジャンルで取材・執筆を開始。現在は企業オウンドメディアの制作を編集プロダクションで編集者として働きながら、個人で音楽ライターとして活動中。音楽雑誌や音楽系Webメディア、音楽ホールの広報誌などで、アーティストインタビューやコラムの執筆を行っている。