今まで出会えなかった人にも声を届けることができる。
お笑い芸人・ほしのディスコの人生を変えた、SNS時代の“歌のチカラ”

2024.03.19
約4年前、お笑いコンビ・パーパーとして活躍し、これまでさまざまな大会の決勝に進出するなど着実に実績を残しながらも、コロナ禍によって仕事が激減してしまったほしのディスコさんを救ってくれたのは、幼少期から自身を支えてくれた歌でした。自身による「歌ってみた」動画が数百万回再生の大ヒットを記録して「歌うま芸人」としてブレイクを果たし、2022年にはCDデビュー、昨年は自身初の書籍を発売するなど、歌で人生を大きく変えたほしのさんに「歌のチカラ」について聞いてみました。
        • お笑いと歌に助けられた幼少期

        • —幼少期の頃から歌が大好きだったとのことですが、当時のほしのさんにとっての歌の魅力とは何だったのでしょうか?

          最初の頃は、なんとなく音楽を聴くと元気が出たり、楽しい気持ちになれたりするなぁと思っていただけだったのですが、そこから自分でも歌える、歌ってみたい!と感じるようになっていきました。自分で曲を歌い切ることができたときに達成感を感じ、もっとうまく歌ってみたいという気持ちが芽生えるようになりましたし、そうやって自分の中で成長を感じられるのがすごく楽しいなと思っていましたね。

        • ―家だけではなくて、色々な場所で歌ったりしていたんですよね。

          誰かに聞かれるのは恥ずかしかったので、誰もいないところを探して、体育館の隅とか倉庫とか、誰もいない音楽室で歌っていました。他の人が見たら、危ないことをしているように見えたかもしれないですけど……(笑)。あの頃から、一人になったら歌う癖がついていましたね。その時に流行っていた曲とか、好きなアニメの主題歌をよく歌っていたと思います。

        • ―昨年上梓された、初のエッセイ本『星屑物語』も拝読させていただきました。幼少期は必ずしも楽しい思い出ばかりではなく、とてもネガティブな時期もあったと書かれていて……。でも、お笑いと音楽がそんな日々を生きる上での助けとなっていたのが、とても印象的でした。

          自分の容姿や人生について考えて、すごく絶望していた時期があったんですけど、その時にお笑いと音楽にすごく助けられたんです。あの時にその2つに出会えて本当によかったなと思いますし、今も助けられていますね。でも、やっぱり歌っている時が一番楽しかったです。歌うことに集中していると、嫌なことを忘れてすごくリラックスすることができたので、すごく辛い時にはよく歌っていました。

        • ―カラオケも学生の頃からお好きだったんですよね。

          はい、特に高校生の頃はよく行っていました。初めて精密採点を入れて歌った時に、いきなり95点くらい出せたんですよ。そうしたら、それまであまり仲良くなかった同級生が尊敬の眼差しで見てくれて、友達ができるきっかけになったりもしました。当時は週に一回は必ずカラオケに行っていましたし、お笑い芸人になってからもネタの練習をカラオケでやることもあります。相方がトイレに行っている間に、こっそり曲を入れて歌ったりしています(笑)。

          あとは、大会の決勝に行けたりとか、すごく良いネタができたりとか、そういう手応えがあった時には、一人でカラオケに行って好きな曲を歌うようにしていますね。そうすると、辛かった時の思い出や、今まで頑張ってきた自分のことが蘇ってきて、すごく報われたなという気持ちになれるんです。

        • 出会えなかったかもしれない人々とほしのさんを繋いだ、
          SNS時代の“歌のチカラ”

        • ―2020年に動画共有サービスのご自身のチャンネルにアップされた「歌ってみた」動画が大きなブレイクのきっかけになったかと思うのですが、元々はどのようなきっかけで動画を投稿されたのでしょうか?

          当時、コロナ禍で仕事が9割以上なくなってしまって、なにか行動をしないといけないと思っていたんです。ちょうどあの頃はいろいろな芸能人の方が動画共有サービスを始めていた時期で、自分もやってみることにしました。最初は動画共有サービスの演者らしく、大食いや話題のネタの実験のような定番企画をやっていました。同時に当時は「歌ってみた」がすごく流行っていたので、自分もやってみようと思って軽い気持ちで動画を上げたんです。その時点では、これは再生回数が上がるぞという期待はまったくなくて、まさかあんな大きな反響があるなんて夢にも思わなかったです。SNSの波及力と影響力に驚かされました。

        • ―当時の状況について、どのように感じられていたのでしょうか?

          それまでは、ただ歌が好きなだけという自己満足で終わっていたんですけど、それを多くの方に評価してもらえたというのがすごく嬉しかったです。たまたまでしたが、SNSで情報を得るという時流に乗れてラッキーだったのかもしれせん。そのおかげで、いろいろな番組で歌う企画が増え、仕事の量も回復していったので、本当に助けられました。またここでも歌に助けてもらえたんだなと思いましたね。

        • ―ファンからの感想で、印象に残っていることはありますか?

          僕が一番調子に乗っちゃったのは、「あなたの歌声は世界に通用します」っていうコメントを見た時ですね(笑)。

        • ―(笑)。でも、音楽ってすごく簡単に国境を越えられますよね。

          実際に、外国からのコメントもあって嬉しかったです。お笑いだとなかなか世界に向けてというのは難しいと思うんですけど、歌だとそれができてしまうので、やっぱりすごいなと思いました。

        • ―新しいファンの方も増えましたか?

          そうですね。お笑いだけをやっていた頃は若い世代の方が多かったんですけど、歌を始めてからは年齢層が幅広くなって、50代や60代ぐらいの方も見てくれるようになりました。わざわざ僕のチャンネルを登録するために動画共有サービスに登録してくれた方がいたり、手紙を送っていただくこともありました。それはやっぱり歌だからこそできたことなんですが、SNSというツールを通してお笑いだけでは出会うことができなかったかもしれない方々に知ってもらえるようになったのが嬉しいですね。

        • 歌に人生を支えられてきた、今のほしのさんが思う“歌のチカラ”

        • ―2022年にはCDデビューを実現し、昨年はエッセイ本の発売やソロ初のワンマンライブを開催されるなど、とても充実した活動をされている印象があります。そんなほしのさんにとって、これからやってみたいことはありますか?

          歌手としての活動もでき、お笑いも頑張っていて、本も出せて、もう子どもの頃の夢はほとんど叶えられたんじゃないかなと思っています。今はちょっと燃え尽きてしまったというか、一旦ゆっくりしようという状態ではあるんですけど、2024年は初心に戻って、お笑いと歌をより深く頑張っていきたいですね。

          あと、自分の曲を大ヒットさせたいという目標があるので、自身で作詞・作曲をして、いつか紅白歌合戦に出てみたいです。ただ、やっぱり根本にはお笑い芸人としてずっと頑張っていきたいという想いがあるので、歌も新たな一面として頑張りながら、芸人として自分ができることを今後もやっていきたいなと思っています。

        • ―著書で、人生の目標は「有名になりたい」書かれていたのがとても印象に残っているのですが、それは今でも変わりませんか?

          そうですね。そうなることによって自分が生きてきた意味というのが明確になっていくというか、生きていてよかったなと思えるようになるためにも、もっと有名になりたいですね。

        • ―最後に、今のほしのさんが考える“歌のチカラ”について教えてください。

          僕はずっと、歌に人生を助けられてきましたし、歌に支えられながら生きてきたと思います。辛いときや、ひとりの時でも、歌があったから乗り越えることができましたし、歌のおかげで友達が増えたり、たくさんの人に知ってもらえるようになるきっかけをもらうこともできました。本当に、“歌のチカラ”というのはすごいと思います。

出演者Profile

ほしのディスコ

1989年10月23日生まれ、群馬県出身。2014年、あいなぷぅとともにお笑いコンビ・パーパーを結成。2017年9月、パーパーとして「キングオブコント2017」の決勝に進出、2020年には「R-1ぐらんぷり2020」の決勝に進出。お笑い芸人をベースに、TV、動画共有サービスでの月1回の生配信「バーチャルほしのディスコのHOTEL UTADAMA」、漫画の原作(『星野くん、したがって!』週刊ビッグコミックスピリッツ/小学館)に挑戦するなど、幅広く活動中。