「平成桜ソング」がこれほど愛される4つの理由

2023.03.07
こんにちは、カラオケ好きの音楽評論家のスージー鈴木です。さて、春が近付いてきました。というわけで第3回の「カラオケチャート研究所」は、ちょっと趣向を変えまして、この時期、カラオケでたくさん歌われる「平成桜ソング」について、考察をしてみたいと思います。
        • 「平成桜ソング」とは

        • 平成時代、特にその中期「ゼロ年代」(2000~2009年)にたくさん作られ、たくさん歌われた「桜/さくら/サクラ」絡みの曲。具体的にはこれらの曲です。

        • ・ 福山雅治『桜坂』(00年リリース)
          ・ aiko『桜の時』(00年)
          ・ 森山直太朗『さくら(独唱)』(03年)
          ・ 河口恭吾『桜』(03年)
          ・ コブクロ『桜』(05年)
          ・ ケツメイシ『さくら』(05年)
          ・ 嵐『サクラ咲ケ』(05年)
          ・ FUNKY MONKEY BABYS『桜』(09年)

        • リリース年を見ると、00年・03年・05年と、断続的に「桜ソング」ブームが来ています。つまりは一過性ではなく、ゼロ年代を通じた長いブームで、その残存効果は、令和の今にまで続いていると言えます。

        • では、これら「平成桜ソング」がなぜ、これほどまでに愛され続けるのでしょうか。今回、先に挙げた曲の歌詞を、あらためて詳細に分析することで、その要因を探ります。まずは発見の1つ目。

        • 【その1】歌詞の中には案外「桜」が出てこない

        • これは驚きました。タイトルからして「桜/さくら/サクラ」なのですから、歌詞の中は、それはもう「桜」だらけなのかと思いきや、実はそれほど出てこないのです。言い換えると、「桜ソング」は「桜」を歌っていない――。

        • 代表は、福山雅治『桜坂』です。固有名詞的な「桜坂」が、たった2回出てくるだけ。コブクロ『桜』はさらに大胆です。歌詞をご一読ください。「桜」も一応出てくるのですが、主題は「桜」以外の花になっているのです。

        • この点について私が感じるのは、日本人的な奥ゆかしさです。「桜ソング」だからといって「桜」を何度も連呼するのではなく、そっと忍ばせる程度にすることで、我々日本人の心情にぴったりと合ったのではないか。

        • 【その2】「桜」は「咲く」のではなく「散る」

        • これが、いちばん大きな共通点です。嵐『サクラ咲ケ』は例外として、「平成桜ソング」の「桜」は基本「散る」のです。

        • また「散る」の表現が凝っていて、「舞い散る」などは、まだストレートなのですが、「降る」や「朽ち果てる」など、かなり文学的な言い回しも使われます。

        • そんな「散る」表現の最高峰は、森山直太朗『さくら(独唱)』において、散り方に「刹那」(せつな)という言葉が添えられることではないでしょうか。この単語とその意味を、この曲で憶えた人は少なくないでしょう。

        • 【その3】でも、散って終わりではなく、また会いたいと願う

        • ここからちょっとややこしくなります。付いてきてくださいね。

        • 【その2】で触れた「散る」の向こう側には、普通「別れ」が見えるものです。しかし、暗い話で終わらないのが「桜ソング」の奥深さ。歌詞をよく読むと「桜ソング」の多くは「別れの歌」ではなく、実は「また会いたい/会える」と思っている歌なのです。

        • 代表はやはり、森山直太朗『さくら(独唱)』。歌詞をよく読んでいくと、主人公は友人に別れを伝えながらも、また会いたいと願っています。

        • また、河口恭吾『桜』や、FUNKY MONKEY BABYS『桜』も「散る→別れ」ではなく、「散る→けど、また会いたい/会える」という意味連鎖になっています。

        • ――と、ここまで「平成桜ソング」の3つの特徴としての、「奥ゆかしく桜が散るけれど、また会えると信じる春」という文脈を見ていきましたが、私は、この文脈に、もう1つ加えたいのです。それは、

        • 【その4】でも、たぶんもう会えない……

        • 森山直太朗『さくら(独唱)』の主人公は結局、また会いたいと願った友人と会えなかった――そんな気が、私にはするのです。

        • 他、全体的にメランコリックな福山雅治『桜坂』はもちろん、他の快活な「平成桜ソング」ですらも、最終的にハッピーな結末に迎えられなかった気がしてなりません。

        • なぜか。ここでは私は「桜ソング」と並んで、もう1つ、この時期によく歌われるカテゴリーのことを思い浮かべます。

        • ――「卒業ソング」

        • 「桜ソング」ブームが平成ゼロ年代とすれば、「卒業ソング」ブームは80年代中盤です。特に85年の春は、尾崎豊、斉藤由貴、菊池桃子の同名曲=『卒業』が立て続けにリリースされた「当たり年」ならぬ「当たり春」でした。

        • 中でも、長く愛される斉藤由貴版は、「卒業してもずっと友だちでいたいけど、心の中では、もう逢えないことも分かっている」という屈折した感情を切々と歌います。

        • この感じ、分かりますよね? 日本人の心情にグッと来ますよね?

        • 私が思うのは、この国において、「桜」、それも「桜が散る」という現象には、「卒業」という意味が埋め込まれていると思うのです。さらには卒業式を終えてから、実際ほとんどの同級生と二度と会えなくなったという経験すらも。

        • だから「桜」が散りまくる「平成桜ソング」には、メランコリックな曲はもちろん、快活な曲でさえも、どこか「たぶんもう会えない」的な哀しさを感じる――これこそが日本人の心情に合っていてグッと来る最大の要因だと思うのです。

        • この春、「平成桜ソング」を歌って、「誰もがきっと持つ、別れの季節を散る桜と歌ったあの春の思い出」に、あなたを一気にタイムスリップさせる「歌のチカラ」を実感するのはいかがでしょうか?

執筆者Profile

音楽評論家スージー 鈴木

1966年、大阪府東大阪市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。昭和歌謡から最新ヒット曲までその守備範囲は広く、様々なメディアで執筆中。ラジオDJ、小説家としても活動。