スナックはまぎれもなく日本独自の文化です。1964年、東京オリンピックの開催にともなう夜の店の深夜営業の規制をきっかけに生まれたと言われています。
10万軒という数字は実は10年以上前のもので、その後コロナ禍の前には7万軒ほどになり、現在では4万軒ほどに減っていると推測されます。人口比や地理的な偏りはありますが、都道府県ごとでは、宮崎県を筆頭に西日本に圧倒的に多く存在していることがわかります。
法律上は、いずれも深夜酒類等提供飲食店のくくりになりますが、バーは必ずしも店員や他の客と話すことを前提とはしていません。むしろオーセンティックなバーでは静かに呑むものだったりしますが、スナックでは初手から人と話をすることが前提とされていることが大きな違いになりますね。
スナックの魅力は、ママ(マスター)をはじめとするお店の人や他のお客さんとの気取らないコミュニケーションを楽しむ点にあります。酒の席だから何をしても良いというわけではなく、むしろ皆で楽しむために気遣い合う点にこそスナックの良さがあるので、威張らず、怒らず、良い機嫌で楽しむのが大切なマナーでしょう。
家族や仕事などの関係性とは違った、緩やかで直接的な利害関係の結びつきがないところが良いのではないでしょうか。とえいえ、まったくの赤の他人でもない、絶妙なユルさこそが、スナックならではの人間関係をかたち作っていると思いますね。
カラオケは1977年以降、夜の街に出現しました。当初はカセットテープが主流だったんですよ。その後80年代に、駅前などでよく見るスナックがたくさん入ったビル(社交ビルなどと呼ばれます)が各地に広がっていく中、そのようなビル建設とセットで夜の街に深く広がっていきました。高度成長期と重なり、バブルで頂点に達する夜の街の隆盛の中、盛り上がっていった文化と言えるでしょう。その後、カラオケボックスの誕生・隆盛などを経て、現在に至っています。
「目は口ほどに語る」ではありませんが、くだくだしく話すよりも、一曲歌えば即打ち解けることもあるものです。お互い知らないからこそ、歌を介して仲が深まることも多々あったなと経験的にも思いますね。
声を張り上げてうるさく歌ったり、いきなり何曲も入れたりしない限りは、常連のお客さんというものは、やさしく見守ってくれる存在です。独りよがりにならないよう、お店の雰囲気を汲んで歌えばOKです。
皆がプロのように上手いワケではないので、歌の巧拙を気にする必要はないでしょう。むしろ、他の人が下手でも、うまく盛り上げるところにこそ妙味があるのでは。
初めてのお店ではデンモクの履歴を見るべし、などとよく言われますが、年齢層を推し量ったり、そこで歌われている曲などを聴きながら、雰囲気を壊さないよう気遣いすることが一番ではないかと。拍手や手拍子などで盛り上げるのも良いですね。
ずっと喋り続けるというのもなかなか大変なことなので、カラオケがあったからこそ持った「間」というのも膨大にあったことでしょう。カラオケがあるからこそ、スナックという独特な空間が維持されたという面もあると思いますね。
今後の日本は、コロナ禍で一時的に覆い隠されていた「人口減少」と「超高齢化」という課題に改めて正面から向き合うことになります。そのような状況の中で、コミュニティ志向のスナックや介護スナックなど、それらの課題の処方箋ともなり得る新しい形のスナックも登場してきています。
私は本当に古今東西あらゆる歌を歌うので、「これこそが自分の十八番」という特定の歌はありません。しいて言うなら、一期一会のスナックで、出会ったいろいろな人たちと楽しんで歌う一曲一曲が十八番なのだろうと思います。
初めての土地に行く時には、ご当地ソングのようなものがあれば必ず事前に練習します。それを歌って地元の方たちに喜んでもらえると嬉しいですね。今はSNSなどで見つけられて便利ですよ。
コロナ禍で長らく歌えない時期があったからこそ改めて、自由に歌えること、歌うことの素晴らしさを多くの人に知ってもいただきたいですね。