私は大学卒業後、40年間旅行業に従事し、数年前から人事総務部長を務めていました。
そんな日々が一変したのが、2020年3月9日。オフィスで新型コロナウイルス対応の会議をしていた時に、突然椅子から崩れ落ちたのです。すぐに救急車が来てくれたのですが、搬送先が見つからず、1時間後くらいにやっと救急搬送されたようです。そのとき私自身は意識を失っていて、記憶がありません。
意識が戻った時には急性期病院のベッドの上でした。夕方には家族が病院に駆けつけてくれましたが、娘に「私のこと、わかる?」と聞かれても名前が出てこないんです。自分の名前も、いろいろなものが何なのかが分からない。右手足も全く動きませんでした。その時は自分の病気について詳しく理解していたわけではありませんが、目覚めてから2日間くらいは、すべて終わった…、もう生きていても仕方ない…、という絶望しかありませんでした。
でも3日後、点滴中にテレビの音が聞こえてくると、言っている言葉の意味が分かったのです。そこで、言葉は出なくても聞く力はあることがわかり、かすかな希望を見出した気がしました。
最初はなかなかリハビリを始める気になれませんでした。もともと私は仕事人間で、以前と同じように働きたかったんです。でも薄々と、元には戻れないと分かってきていましたから。
ただ、会社の同僚から励ましの手紙が届いたり、家族に本を届けてもらったりするうちに、周りの人に支えられていることを感じ、リハビリに励む決意をしました。
リハビリでは言語聴覚士(ST)さんと一緒に、「あいうえお」などの短文を繰り返し、言葉を発する練習をしていました。でも言葉に詰まることも多く、苦労の連続で……。そして退院まであと1カ月に迫ったある日、看護師さんに歌がリハビリに効果的らしいと教えてもらったんです。もともと歌やカラオケは好きでしたし、やってみようかなと。
ただ当時はコロナ禍で、病院内で歌うことが難しい状況でしたから。入院中はリハビリとして歌詞の音読練習をし、10月に退院した後に本格的に歌の練習を開始しました。課題曲はもともと好きだったKiroroの『ベストフレンド』。年末までに歌えるようになって、お世話になった看護師さんやSTさんに動画を送ろうと目標を決めました。
ただ最初は歌詞も出てこないし、歌えない状態でした。でも、歌詞を書いて音読を繰り返し、その後カラオケで歌ってみると、不思議とメロディも歌詞もスラスラと出てきたのです。
そして退院から1カ月で、自分の歌う姿を録画して、看護師さんとSTさんに送ることができました。するとものすごく喜んでいただきまして。うれしかったですね。私自身も、話すことは難しくても、歌なら歌えるんだと自信がつきました。
そこでグンとやる気が出て、次はKiroroの『未来へ』を歌ってみました。SNSにアップすると「励まされた」「私も歌いたい」と大きな反響がありました。「次はこれ歌って!」とリクエストも来るわけです。それでどんどん「新しい歌を歌おう!」と、モチベーションが上がってきて、昔から好きだったサザンオールスターズの曲に加えて、あいみょんの曲にも挑戦しました。
また、歌を通じてSNSでは、失語症当事者、音楽関係者、医療関係者と、友達の輪がどんどん広がって行きました。そんな中、ある使命感が湧いてきたんです。
はい。私自身、歌の練習を重ねるなかで、以前よりも言葉が出てくる実感がありました。このことを多くの失語症に悩む方に知ってもらいたい、と思ったのです。失語症当事者は言葉を発することができないため、その実態が世の中にほとんど知られていません。世間に、その理解を広めたいという思いもありました。
あるオンライン講演会で失語症カラオケ大会を開きたいと発言したところ、「倉谷さんならできる」と励ましの声をもらったのです。もともと旅行業でイベントの企画や開催のノウハウはありましたから、絶対開催する!と決意しました。
するとトントン拍子で、コンテストの審査委員長をシンガー・清水まりさんが、司会を宮本璃佳さんが引き受けてくださることが決まりました。なんと、お二方ともに失語症当事者なんですよ。
さらに、この企画に賛同してくれた私の元同僚や看護師さんにサポートをしてもらいながら、1カ月で準備を進めました。
ただ、新聞やテレビ局からも取材が来て、大きく取り上げてもらえました。失語症発症前にもこんな経験はなかったので、自分でもすごいことしているぞ、頑張らねば、という気持ちでしたね。
そして2022年7月に、失語症の方々のカラオケコンテスト『聴かせて、あなたの声』を開催するに至りました。
コロナ禍のため対面で集まるのは難しいということもあり、各自が歌っている動画を募集する形式にしました。すると日本全国から20人と1団体の応募があり、決勝戦は5名に絞って、コンテストを録画配信しました。
例えば、東京都の50代の女性。3年前から失語症や視覚障害、右足麻痺がある方です。今回10年ぶりにカラオケにチャレンジされたということで、この日のために娘さんが作ってくれた歌詞カードで練習したそうです。今後もいろいろなことに前向きに挑戦したいとのことでした。
長崎県60代の女性は、13年前に失語症と右半身麻痺になりました。発症前はよくカラオケで歌っていたそうです。歌えるかどうか不安はあったものの、コンテスト出場が記念になり、生きる活力になったとのメッセージをいただきました。
また、視聴していた失語症の方々からも、「感動した」「早速カラオケでリハビリしようと思う」といったコメントが寄せられました。
もちろん、今後も続けて行きたいです。対面での大会や、いつかは世界大会も開催できたらと思っています。
カラオケ大会以外でも、カラオケや歌を通じて、失語症当事者が外に出る機会をいろいろと作っていきたいですね。というのも、失語症になり、言葉が不自由でコミュニケーションが難しくなると、家に閉じこもりがちになり、気持ちが沈んでしまう方が多いんです。みなさんどんどん外に出て行って、人と交流してもらいたいですからね。
私は歌うことで、失ったと思っていた言葉が出てくるようになり、自信を取り戻すこともできました。また、歌が自分と多くの人を繋いでくれて、何千人もの友達ができました。新しい世界で、新しい人生を生きるチャンスをくれた「歌のチカラ」は絶大。歌は自分にとってなくてはならない存在です。
失語症は、脳卒中などの脳疾患によって、脳の言語野やそこへの入・出力線維が障害されることで生じます。重症度によりますが、発語や呼称、話し言葉の理解などについて、「ひとつずつ言える」「書ける」「分かる」語を積み上げて治療をしていきます。
まず、単に歌うことでは失語症は改善しないことを理解していただきたいです。ただ、カラオケの効果として評価できるのは、言葉を発話できたことによる患者・家族の精神的な喜びはもちろん、発症以来家で閉じこもりがちであった患者が歌の会に行くために再び外出をして、人生に新たな楽しみを見つけて人生が豊かになったり、付き添いの介護者同士でネットワークができることなどでしょう。
歌によって言語機能自体を改善させるためには、メロディやリズムなどの音楽的な複数の要素を系統的に用いて、失語症患者の発話機能の改善を目指すリハビリ技法である「メロディックイントネーションセラピー(MIT)」が効果的と考えられています。今後、MITトレーナーの資格を持つ言語聴覚士が全国に増えていくことで、失語症患者の方々の生活が向上していくはずです。