採点開発者突撃インタビュー!Vol.1 採点ゲーム誕生編【前編】
今やカラオケに欠かせないお楽しみ機能として定着している「採点ゲーム」。
DAMから初めて採点ゲームがリリースされたのは1990年代。採点ゲームの誕生から、DAMを代表するサービスとなった「精密採点」の初代誕生までの軌跡や、今だから話せる開発秘話を、採点ゲームの企画・開発を手掛ける橘 聡氏と、精密採点Ai開発チーム所属の矢吹 豪氏に大いに語ってもらった。(前後編の前編。後編を読む)
プロフィール
橘 聡
矢吹 豪
1995年、DAMから無料の採点ゲームが誕生! 『リズム・音程・声量』が当時の採点軸
——さっそくですが、最初に採点ゲームをリリースされたのはいつ頃でしょうか?
橘:自社開発の採点ゲームをリリースしたのは1995年後半ですね。それ以前から有料の採点ゲーム機器はありました。お金を払って採点する、ゲームセンターのゲームのような感覚が近いと思います。
私たちはそれまで有料だった採点ゲームを無料でリリースしたのですが、当時はそれが革命だったんです。カラオケユーザー的に無料というのは嬉しいところですからね。
——採点という概念自体は当時からあったんですね。採点ゲームをリリースすることになったのには、どのようなきっかけがあったのでしょう?
橘:当時、通信カラオケの提供がスタートされ、プログラムのバージョンアップや成長の可能性といったメリットを活かして何かできないかという話がありました。カラオケをもっと楽しんでもらう、盛り上がってもらうための付加価値のひとつとしてあがったのが、採点ゲームだったんです。
——初期にリリースした採点ゲームはどういうものだったんですか?
橘:『カラオケオーディション』『カラオケ予備校』『カラオケ紅白歌合戦』の3つですね。カラオケオーディションは自分がどのくらいの歌唱力なのか、機械ではなく人に採点してもらうというニュアンスで、テレビのオーディション番組に近い感じです。『リズム・音程・声量』の3項目を設け、総合得点だけでなくそれぞれの項目ごとの点数も表示させていました。
——カラオケオーディションは…どこかで見たことあるような人が並んでますね(笑)
矢吹:(笑)
橘:カラオケオーディションはいわば自分との戦いなのですが、カラオケ予備校は全国で自分が今どのくらいのポジションにいるのか、歌唱力を偏差値で示すというものですね。カラオケ紅白歌合戦は、スナックなど主にナイト市場を意識した企画で、名前の通りチームに分かれて対戦ができるというものです。
矢吹:声量っていうのは、あればあるほど得点が高くなるんですか?
橘:環境によっても違うので、あればあるほどではないですね。一定以上の声量であればよくて、声量が小さすぎるとちょっと点数が下がる。とくに曲がよくわからないなどで歌えない箇所があると、大きく減点されます。声量に関して言えば、全部ちゃんと歌えていれば98点以上は出ていたと思いますよ。
——1995年に採点ゲームをリリースした時のユーザーの反応はいかがでしたか?
橘:不満の声は少なかったのですが、こうして欲しいといった要望が多かったですね。あとは、「音程はどうやって採点しているの?」「どうやったら高得点が出るの?」といった質問が多かったです。
——テクニックに関わる、前向きな質問が多かったんですね。
橘:そうですね。例えば、リズムといっても演歌はタメて歌ったりしますよね。お客さんにしてみれば、楽曲に合わせて歌っているので、それは正しいんですよ。でも、採点基準として、タメるとリズムの点数が下がってしまうから、なんで?と。ただ、それは私たちの採点エンジンを信じてくれるからこそ出てくる質問なんですよね。
矢吹:総合得点だけ出されちゃうと何で?って思っちゃうけど、この当時から音程など項目ごとに点数が出ているから、信憑性がありますよね。
——余興的な面白さだけでなく、真剣に取り組んでいるというか、攻略熱のあるユーザーが登場したという感じですね。
矢吹:今と同じですよね。カラオケが好きだから上手くなりたい、その気持ちに近いと思います。
“歌唱という芸術に対して点数をつける”ことの難しさ
矢吹:今でこそ採点ゲームって当たり前の存在ですけど、何もないゼロの状態からつくっていくのって大変ですよね。
橘:採点エンジンの話で言えば、ヤマハさん抜きでは語れませんね。採点という話を受けて実現するための仕様を考えていただいて、エンジンのメインの部分はヤマハさんが開発してくれました。
——企画内容を伝えた時のヤマハさんの反応はいかがでした?
橘:ヤマハさんの方もノリノリで、逆に「これだけでいいんですか?」とか「ちょっと寂しくないですか?」という感じで、積極的に意見をくれて、開発者同士、同じ感覚で会話していました。開発の委託先というよりは、完全に共同開発者ですね。
けれど、開発期間が本当に短くて、企画のイメージがない状態なのにリリース日だけは決まっているっていう状態で(笑)コンテンツの方向性が決まって開発が終わるまで、実質3ヶ月くらいだったと思います。徹夜で動作確認をするなど、大変だったけど好きだからやれていたというのはありますね。
——3ヶ月!結構な無茶振り感はありますね(笑)1995年頃といえば、いわゆる音楽ゲームも充実してきた頃ですが、そういったものは意識されていたんですか?
橘:世の中の音楽ゲームとは考え方が異なるので、完全に別の世界で考えていましたね。音楽ゲームにしたくなかったというより、私としては『歌唱という芸術に対して点数をつける作業である』ことを意識していました。
矢吹:ただ単に流れてくる音楽に合わせて、音程通りに声を出せばいいという世界じゃないですもんね。
——本来点数をつけづらい歌唱に対して点数をつけることと、割り切ってゲーム化することには自ずと違いがあるということですね。次のバージョンになると、どういった企画が出てきたのでしょうか?
橘:1998年にカラオケ本体の新しいバージョンをリリースすることになり、採点ゲームにも新しいコンテンツを入れることになりました。『Superオーディション』などがそうですね。採点エンジン自体はほぼ変わっていませんが、新しくなったことが見た目でパッとわかるように意識してつくっていました。
矢吹:この時は『音程・リズム・キレ・安定性』の4つが採点軸になりましたよね。キレと安定性って、どういったものだったんですか?
橘:キレにはハキハキ歌えているかっていうニュアンスがありますね。安定性は歌のピッチではなく、声のボリュームが安定して出せているかに焦点を当てていました。
——いかに採点の精度をあげていけるのか、それが採点ゲームの歴史だと思っていましたが、1990年代はどちらかというとカラオケにひとつの遊びをプラスして、面白さを追求している時代だったんですね。
採点開発者突撃インタビュー!Vol.1
採点ゲーム誕生編【後編】につづく